2010年01月31日
アナザーリアリティー試論・3
「もうひとりの自分」というものを具体的に見せたのは、映画『アバター』だったかもしれない。またアニメ『攻殻機動隊』に登場するリモート擬体というものも「もうひとりの自分」といえるだろう。これらは共に、主人公と同じ現実世界に存在するという設定である。いまボクがアナザーリアリティーと呼ぶ仮想世界やMMORPGの世界は、ネット上の、PC画面の向こうの世界ということで、現実ではない。それらの世界の中に「もうひとりの自分」を感じているユーザーも、現実世界とは区別して意識しているはずである。この関係はもしかしたら、腹話術師と人形の関係に近いのかもしれない。人形はあたかも腹話術師とは別の人格を持っているように見えながら、あくまでも腹話術師の意思のもとにコントロールされる。ユーザーの意志というものがキャラクターやアバターに与えているものに近いのではないだろうか。

※「おたくま経済新聞」にてコラム連載中です。

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タグ :essayアナザーリアリティー
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Posted by 猫目ユウ at 18:17│Comments(0)
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ここでもう一度「アナザーリアリティー」というものを捉え直してみたい。 ここまで
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