ソラマメブログ

  
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2010年01月31日

アナザーリアリティー試論・3

「もうひとりの自分」というものを具体的に見せたのは、映画『アバター』だったかもしれない。またアニメ『攻殻機動隊』に登場するリモート擬体というものも「もうひとりの自分」といえるだろう。これらは共に、主人公と同じ現実世界に存在するという設定である。いまボクがアナザーリアリティーと呼ぶ仮想世界やMMORPGの世界は、ネット上の、PC画面の向こうの世界ということで、現実ではない。それらの世界の中に「もうひとりの自分」を感じているユーザーも、現実世界とは区別して意識しているはずである。この関係はもしかしたら、腹話術師と人形の関係に近いのかもしれない。人形はあたかも腹話術師とは別の人格を持っているように見えながら、あくまでも腹話術師の意思のもとにコントロールされる。ユーザーの意志というものがキャラクターやアバターに与えているものに近いのではないだろうか。



※「おたくま経済新聞」にてコラム連載中です。
  

Posted by 猫目ユウ at 18:17Comments(0)essay

2010年01月29日

アナザーリアリティー試論・2

 このアニミズム的にアバターを捉えるという考え方は、たとえば「ネトゲ廃人」と呼ばれる人たちに顕著に表れているのではないだろうか。
 彼ら(彼女ら)にとって、それは現実ではないという認識を持っていても、だからといって自分とは別の存在ということでもなく、まさに「もうひとりの自分」「もうひとつの(現実)世界」としてそこにあるといえる。
 多くのオンラインゲームでは、システムが用意したキャラクターの中から自分の好きなものを選択し、多少のカスタマイズを加えてプレイする。したがって同じ顔、同じ服装のキャラクターが複数存在することになるわけだが、ユーザーが操る「癖」やチャットによる自己表現がそこに「キャラクター(人格)」を与えていく。自分の操るキャラクターへの思い入れなどが、アニミズム的な霊的、精神的なものを3DCGのキャラクターに与えることによって、それは単なる画像ではなく、もう「ひとりの自分」として認識されていくのだと思う。
 Second Lifeのように細かくアバターをカスタマイズすることのできる世界は、その傾向がなおさら強くなるのではないだろうか。
 
  

Posted by 猫目ユウ at 04:55Comments(0)essay

2010年01月28日

アナザーリアリティー試論・1

 インターネットなどの仮想世界は一般的にヴァーチャルリアリティーと呼ばれている。
 現実を模した、しかし現実ではない世界であるということではそれは「仮想」であることに違いないかもしれない。
 しかし、メタバースと呼ばれる仮想空間やMMORPGなど多数のユーザーが同じ時間と空間を共有する世界は、もうひとつの現実世界、アナザーリアリティーと呼べるのではないだろうか。
 もちろん3Dや通信速度といった環境やCGなど表現の進化によって、見た目として現実に近づいてた仮想世界ということも確かにある。が、ボクが仮想世界をアナザーリアリティーと呼べるのではないかというのは、そこに集まるユーザーたちがいるからだ。
 それぞれのユーザーが操るキャラクターやアバターは、それだけでは3DCGで描かれたグラフィックにすぎないが、ユーザーによってひとつの人格として認識されていくことになる。これはアニミズム的な心身二元論でいえば、現実の肉体から分離した人格が仮想世界のアバターと融合した状態といえるのではないかと思うのだ。この意味において仮想世界のアバターはそのユーザーの「もうひとりの自分」として存在することになる。

 この構想はもう少し深めてみる価値があると思う。

  

Posted by 猫目ユウ at 07:14Comments(0)essay