2010年01月28日
アナザーリアリティー試論・1
インターネットなどの仮想世界は一般的にヴァーチャルリアリティーと呼ばれている。
現実を模した、しかし現実ではない世界であるということではそれは「仮想」であることに違いないかもしれない。
しかし、メタバースと呼ばれる仮想空間やMMORPGなど多数のユーザーが同じ時間と空間を共有する世界は、もうひとつの現実世界、アナザーリアリティーと呼べるのではないだろうか。
もちろん3Dや通信速度といった環境やCGなど表現の進化によって、見た目として現実に近づいてた仮想世界ということも確かにある。が、ボクが仮想世界をアナザーリアリティーと呼べるのではないかというのは、そこに集まるユーザーたちがいるからだ。
それぞれのユーザーが操るキャラクターやアバターは、それだけでは3DCGで描かれたグラフィックにすぎないが、ユーザーによってひとつの人格として認識されていくことになる。これはアニミズム的な心身二元論でいえば、現実の肉体から分離した人格が仮想世界のアバターと融合した状態といえるのではないかと思うのだ。この意味において仮想世界のアバターはそのユーザーの「もうひとりの自分」として存在することになる。
この構想はもう少し深めてみる価値があると思う。
現実を模した、しかし現実ではない世界であるということではそれは「仮想」であることに違いないかもしれない。
しかし、メタバースと呼ばれる仮想空間やMMORPGなど多数のユーザーが同じ時間と空間を共有する世界は、もうひとつの現実世界、アナザーリアリティーと呼べるのではないだろうか。
もちろん3Dや通信速度といった環境やCGなど表現の進化によって、見た目として現実に近づいてた仮想世界ということも確かにある。が、ボクが仮想世界をアナザーリアリティーと呼べるのではないかというのは、そこに集まるユーザーたちがいるからだ。
それぞれのユーザーが操るキャラクターやアバターは、それだけでは3DCGで描かれたグラフィックにすぎないが、ユーザーによってひとつの人格として認識されていくことになる。これはアニミズム的な心身二元論でいえば、現実の肉体から分離した人格が仮想世界のアバターと融合した状態といえるのではないかと思うのだ。この意味において仮想世界のアバターはそのユーザーの「もうひとりの自分」として存在することになる。
この構想はもう少し深めてみる価値があると思う。

タグ :essayアナザーリアリティー